就活セミナー?
🕑 Added 2021-12-02 13:00:00 +0000 UTC
「あーあ、俺らもこんなんに参加しなきゃな時期かー」
大教室で講座が始まるのを待つ最中。隣に座るサッカー仲間の五十嵐がそんなことを呟いた。
「はは。まあ、乗り気な学生なんていないだろうなぁ」
大学3年生の冬、俺たちの就活開始はもう目前。そのため、こうして不本意ながらも大学主催の就活向けガイダンス兼セミナーを受講せざるを得ないのだ。
「侑樹はいいよな。きっちり学業頑張ってきたわけだし、いい資格だって持ってる。礼節もしっかり弁えてるし、企業から引く手数多だろうよ」
「そう不貞腐れるなって。別に五十嵐だってまったく長所のない人間でもないじゃないか。それに、うちの大学は就職率がそこそこ高めだろ?真面目にセミナー受けてれば、案外いいとこ入れたりするかもしれないぞ?」
「『案外』?」
「案外」
そして五十嵐は殊更大きなため息をついた。
まあ、こいつは前々からこんな調子ではあるが、最低限のことはこなせる人間だし、今さら友人としてなにか気に掛けてやる必要もないだろう。
「そういやさー」
「ん?」
「うちの大学、男女で就職率わりと違うよなぁ」
頬杖をつきながらぼんやりとした口調でそう切り出してきたものだから、またしょうもないことを口にするんだろうと思っていたが、意外とまともそうなお題が出てきた。
「男子が8割5分で女子が9割5分、くらいだったよな?まあ1割っていったらそこそこ差があるなって俺も思う」
「だよなー。あれ、なんでなんだろうな」
俗説としてうちの大学は可愛い子が多いとか、品のある女子が多いだとかって話は聞いたことがあるし、実際いくらかそういった傾向はあるように思えるから、そういう世間体の良さが就職率に繋がっているのかもしれない。
「それにしたって1割も差が開くもんかね?」
五十嵐の言い分ももっともだ。
「他の大学でも男女差って大きいものなのかな?」
「さあ?」
「じゃあ、案外そんなものだったりするんじゃないか?」
「それもそうかー」
自分から振った話題だというのに随分と雑な受け答えをする五十嵐。彼のマイペースっぷりは、今に始まったことじゃない。
「お、講師が来たっぽい」
そんなこんなで時間を潰していると前方のドアが開かれ、入室したひとりの女性が教壇へと向かっていった。そして早々に教卓に資料らしきものを広げてから、彼女はマイクを口元に近づけた。
『ちょうど時間になりましたね。それでは早速始めていきましょう。えー、講師を務める咲本と申します。この大学のOGで、普段はTS株式会社でOLをしていますが、時折りこうして、及ばずながらセミナー講師としてお招きいただいてます。本日はどうぞよろしくお願いします』
×××
「……」
はじめのうちはごく一般的なセミナーといって差し支えなかった。
「……」
ところが開始から20分ほど経過した頃、その内容は段々とおかしなものへとシフトしていった。
いや、別に就活セミナーとしておかしいってわけでもない。ないのだが、ただ……。
『スカートの丈は立ち上がっている際にはそこまで気にもなりませんが、着席時には少し短くなってしまいます。椅子によってはお相手の方に隙間から見られてしまうかもしれません。ご自分のスタイルや志望業界の雰囲気と相談しながら、ちょうどよいスカート丈を選びましょう。悩んでしまうようでしたら、無難に膝丈程度のものにしましょう』
先ほどから、俺たち男子就活生にとって無意味な女子向けの話ばかりなのだ。
『もちろん、パンツスーツでもなんら問題はありません。ご自身に合うリクルートスーツを選んでくださいね』
「……なるほど、今はパンツでも関係ないのか……」
だというのに、五十嵐は常にメモ帳に筆を走らせている。俺たちには関係ないだろうに、こいつは何を考えているんだ。
と、不満や不審を押し殺しながら講師の話を聞き流していると、
「……?」
教室内の光景が、どこかおかしいことに気づいた。
周囲をそれとなく観察してみる。
集まった3年生たちの服装は指定された通り、一様にリクルートスーツだ。各自の好みでパンツかスカートかに分かれ、寒がりの人は上着を着たままだったり、スカート丈の短い子は膝掛けをしている。
(その他に違いがあるとしたら紺色や黒色といった瑣末な色の違いくらい……別におかしなところなんてない…か?)
さらに強いて挙げるならセミナーにわざわざスーツで参加していることくらいだけど、これは服装に関してのレクチャーを受けるためであって……。
「……ぅひっ……」
そんなことをぼんやりと考えていると、ドアの隙間から寒風が入り込んできた。そのあまりの冷たさに、俺はつい情けない悲鳴を漏らしてしまった。
(しまったなぁ……)
いくら室内で暖房が効いているといっても、外気が股関節にまで及ぶタイトスカートで、さらに膝から下が素足というのはやはりこの時期、少ししんどい。
ううむ。ストッキングを履いてくるべきだったろう。横目に五十嵐の足元を見ると、彼はその辺りに余念がないようだ。羨ましい。
『ヒールは女子の脚、ひいてはスタイルを美しく見せてくれるものです。しかし就活においては派手な印象を与えるものは控え、機能性にも留意しましょう。その点パンプスは無難な選択肢です。特に普段ヒールを履き慣れていない方は高さが3cm程度のローヒールパンプスを選ぶと安心でしょう。5cmを超えるものは印象的にも機能的にも就活に不適切で、万一階段で転びでもしたら皆さんのその細くひ弱そうな脚が骨折でもしてしまうかもしれません』
「……」
ちらりと自分の靴を確認してみる。どうやら大丈夫そうだ。
俺のパンプスは無地で艶のない、シンプルな黒色。高さも抑え目にしてある。どのみちサッカーで鍛えに鍛えた俺の健脚では美しさも何もあったものじゃないから、という選択の理由が少し悲しいところだけれども。
「……あれ?」
いや。違うか。違った。
”頑張って鍛えはしたけど、大して筋肉は付いてくれなかったんだった”。講師の言うとおり、階段で転びでもしたらこの弱々しい細脚は折れてしまうに違いない。ローヒールとはいえ就活時には気をつけないといけない。
『髪が肩に掛かるより伸びている場合はきちんと結んでおきましょう。身体を動かす際、特にお辞儀などをした時に長い髪を振り乱してしまうとだらしなく映ります。1本で結ぶか、ハーフアップがお勧めです。お好みのヘアスタイルや、面接予定の企業の雰囲気にもよりますが、心配な方はいっそ短く切ってしまうのも手です。爽やかな印象を相手に与えてくれるでしょう。いずれにせよ、清潔感さえあればそこまで気にすることでもありませんが、髪は女の命とも言います。企業と皆さん、お互いにとってちょうどいい落とし所を見つけましょう』
そういえば俺の髪も気づけばそこそこの長さになっている。
肩まで伸びたさらさらな黒髪。お洒落にあまり関心がなかったことが奏功し、今まで染めてこなかったおかげで痛みの見えない綺麗な黒髪のままだ。
正直髪型には大して拘りもないので短くしても後ろで纏めても構わないかな。
隣の五十嵐を窺うと、彼の背中まで伸びた長髪は束ねられずに自由奔放。なるほど、これでは確かに印象も良くはならないかもしれない。
「……?」
こいつ、こんなに長い髪をしてたっけ?
『前髪が垂れてくるようでしたら他人から見えない位置にヘアピンを留めてうまく固定しておきましょう。眉毛は感情をよく表しますので、皆さんの愛嬌の良さをアピールしてくれるとても大事なパーツです。女子にとって愛嬌は──』
「……っ」
一瞬、また違和感が俺を襲った。
いや、こんなではいけない。セミナーに集中しなければ。
「愛嬌、大事……」
ほら。五十嵐だって講師の話を無意識に反芻するくらい真剣に学んでいるんだ。
まあ、こいつの場合は愛嬌に関しては何の心配もいらないだろうけど。五十嵐の愛らしく朗らかな微笑みは周囲をいつも和ませてくれている。
『ご自身の日焼けを気にされる方もいらっしゃいますが、特に心配する必要はありません。『遊び呆けている』とか『だらしがない』とか、そうお思いになる方も中にはいらっしゃるようですが、大半の面接官さんは『それほど何かに夢中になれるバイタリティ』という点をアピールされれば、むしろプラスに評価してくれるでしょう。不安がらずに堂々と話しましょう』
それを聞いて五十嵐の口元は綻んだ。
彼はサッカー部で年中グラウンドを走り回っていたから、肌もいくらか浅黒い。それは意外とナイーブな彼にとってはそこそこ懸念事項だったのかもしれない。
しかし一見女子にとってマイナスになりかねない要素でも、講師の言ったようにプラスに判断することだってできる。これだけでも五十嵐にとってこのセミナーに出席する価値のある相当な収穫だったろう。
かくいう俺も日焼けがすごい。サッカー部で五十嵐と一緒に直射日光の元、ボールを追いかけグラウンドを駆け回って……。
「……ぁ?」
駆け回って……は、いなかったかな?
そうだ。俺はマネージャーとして五十嵐たちを応援していただけだし、入念に日焼け止めを塗ったりスキンケアは怠らなかったから、肌は真っ白で綺麗なままだ。それでよく選手のみんなに羨ましがられてるっけ。
「……え?」
ふと目線をノートより内側に向けると、自分の胸部にこんもりとした膨らみが出来上がっていた。
『女優やアイドルを目指すとかでなければ、体型は気になさらずとも問題ありません。千差万別十人十色、社会的にも身体的にも女性であるという点を除けば、皆さんひとりひとりに個性があります。個性を"気にすることなんてないのです"』
「あ──」
体内や脳内を掻き乱されたような不快感を一瞬味わった気がしたけれど、そんなことは"気にしなくてもいい"。
私は安堵した。この胸、みんなと比べてやたらと大きくって、男の人たちから変な目で見られるし、五十嵐さんにもよく面白半分で揉まれるし……。
けど、気にしなくたっていいんだ。私は私。胸の大きさなんて就活には関係ない。それは人生においてごく限られたほんのわずかな期間だけれど、講師の人が言ってくれたその個性に対する心持ちはすごく大事なことだと思った。
『仕草は嫋やかに、上品に、面接時に限らず普段から心掛けておきましょう。”身体が以前の所作を覚えたままでいる”こともありますので、特に大股で歩かないようにするなど、女性らしさを意識し続けましょう。自分は女子大生なんだという自覚が大切です』
『姿勢は顎を引いて背筋はピンと胸を張り、着席時は膝と踵、爪先をぴたりと揃え、両手は太ももの上、男子と違ってこぶしは作らず、右手を下にして重ねましょう。指先はまっすぐに伸ばして、こちらも綺麗に揃えましょう。』
『身の回りの小物や生活用品は今の皆さんにとって相応の物に変わっていると思います。それではさっそく鞄の中からお化粧の道具を取り出して、実際に試していきましょう』
×××
『ファンデーションは素肌感を損なわない程度のものを、化粧崩れも考えてあまり厚くは塗らないように気をつけましょう。眉をよく整えて、アイラインで目元をはっきりとさせ、チークは淡めのピンクを頬にほんのりと乗せる感覚ですると、顔色もよく映え、健康的に見えるようになります。リップグロスは少しだけ艶を出せる、透明か薄いピンクの物を使いましょう。付け睫毛やエクステは印象を悪くしてしまう可能性があるため、皆さんお洒落を楽しみたいお年頃かとは思われますが、就活が終わるまで控えておいた方が無難です。マスカラもナチュラルになるよう抑えましょう』
講師の人がひとつ口を開く度、私たちは彩りを増していく。これまでに経験したことのない高揚感が私を包み込んでいく。
時折り講師直々の手解きも受けたりしながら、無事参加者全員のお化粧が終わった。
そうして出来上がった鏡に映る私は、就活を目的としたナチュラルメイクだというのに、これまでで1番可憐で、綺麗で、それでいて無理のない自然体な私だった。
「まるで……」
自分じゃないみたい。誇張抜きでそんな感想を抱いた。
「本当に……自分じゃ……」
そう、自分じゃない……自分じゃ……じぶん……?
「ぁ、れ……?」
自分の顔を改めてまじまじと見つめ直す。鏡の向こうではいかにも真剣な顔つきの私が私を見つめ返してくる。
肩まで伸びた黒髪を後ろで束ね、耳とうなじを露出させ、教わった通り外見からは見えないように上手くヘアピンを留め前髪を固定した私。
ファンデーションの掛かった透き通るような色白の肌。就活用に塗られた弓形の眉。よく伸び曲線を描く睫毛。大きくぱっちりとして快活さを感じさせる両目。形のいい鼻筋。艶を帯びた薄紅色の小さな、それでいてぷっくりとした唇。丸っこいながらも整った、女子の中でも小さめな童顔。
なんてことのない、お化粧こそ施されてはいるものの、いつも洗面台やトイレで目にする、いつも通りの私のはずだ。
……はず、なのだけれど。
「これが、"俺"……?」
なにかが、おかしい……!というか、今ついこぼれた言葉はなに?私は今、自分のことを『俺』って言ったの?
「俺、オレ、おれ……」
言うまでもなく男の人が使う一人称だ。
だというのに、妙にしっくりときてしまう。
「……あ……」
そしてかすかに生じた綻びが、自らの虚像を瓦解させていく。
「──そうだ、そうだよ……俺、男だったはずなんだ……!」
俺は園部侑樹。男だった。確かに男だったはずなんだ!
なのにこのセミナーを受けているうちに、段々と女子みたいに変わっていって……!
「な、なんだよ、この記憶は……?」
自分が女子としてこの歳まで歩んできたという、偽りの記憶が去来する。
園部侑梨として生を受け、両親の元ですくすくと育っていった自分。
アニメの影響で正義の魔法少女に憧れ、物真似をしながら幼稚園ではしゃぐ自分。
ハート模様が刺繍されたピンクのTシャツにプリーツスカートをたなびかせ、赤いランドセルを背負いこむ小学生の小さな自分。
10歳にもなったというのに、悪戯好きの男子からスカートをめくられて、年甲斐もなく涙目になってしまった自分。
初めてのセーラー服に悪戦苦闘しながらも、綺麗に着こなせて姿見の前ではにかむ自分。
身長は伸び悩む割に胸ばかり大きく膨らんでいくことに不安を覚える思春期真っ只中の自分。
クラスメイトに恋をして、紆余曲折の末に結ばれて最高の笑顔を見せる自分。
彼氏と同じ高校に無事入学し、彼が夢見る舞台に立てるよう、マネージャーとして献身的な毎日を過ごした自分。
年の暮れ、家族のいない自宅で疚しい気持ちを抑えきれずに、彼と一線を踏み越え喘いでよがる嫣然とした自分。
別々の大学に進み疎遠になりつつあった彼から別れの言葉を伝えられ、それに然程の感傷を抱けず二つ返事で承諾してしまう冷めた自分。
道行く男の人から大きな胸や露出した脚を嫌らしい目で見られ、ついには満員電車で痴漢にまで遭い嘆き悲しむ自分。
マネージャーなんて惰性で続けていただけなのに部の先輩のことが気になり出して、部活への意欲をみなぎらせながら、より一層お洒落にも気を遣うようになっていった自分。
募る想いが実を結び、晴れて先輩の彼女になれたあの日の輝かしい自分。
「……って、ふざけるなっ!なんだよこの記憶!?ありえないだろっ!!」
俺は男だ!ずっと男としてこの歳まで生きてきたし、そもそも高校なんて男子校だったぞ!?サッカーだって小さい頃にプロの選手に憧れて続けてきたんだ。こんなふざけた理由で関わり始めたわけじゃない!!
「稀にいらっしゃるんですよね。あなたみたいに掛かりの弱い学生さんが」
気づけば俺の目の前に、セミナー講師が立っていた。
俺はたまらず声を荒らげた。
「あんたの仕業か!?俺を、俺たちを元に戻せっ!!」
まるで気迫を感じさせない澄んだ綺麗なソプラノボイスが自らの口から発せられ、それがまた俺を無性に苛立たせた。
そんな可愛らしい怒鳴り声に、しかし隣の五十嵐は肩をビクつかせ、怯えた目つきでこちらを窺ってくる。
「ゆ、侑梨ちゃん?どうしたの?そんなに怒って……」
「……侑梨じゃない、俺は侑樹だ」
そんな俺たちの様子を見て講師はからからと笑った。
「違いますよ。そこの子が言うように、あなたはもう侑梨なんです。侑樹なんていかにも男の子っぽい名前は、今のあなたに似合いません」
「っ……おい五十嵐!思い出せっ!お前は」
「もー騒がしい。そこのあなた、ちょっと侑梨さん押さえつけといてください」
「へ?……うわっ」
すると突然五十嵐は立ち上がり、俺のことを羽交い締めにしてきた。
「な、なにするんだよ五十嵐!?」
「なにって……"咲本先生のお願いは私たちにとって絶対"でしょ?侑梨ちゃんこそ、どうして先生に怒鳴り声なんて上げてるの?」
「ッ……!」
五十嵐は本心から俺のことをおかしいと思い込んでいる。思い込まされている。
講師に目をやると、彼女はいかにもなしたり顔をして、それから憎たらしい笑みをこぼした。
「もうこの教室のみんなが既に私の術中にあるんですよ……侑梨さん、あなたを除いてね」
「さ、催眠術……?」
いや、催眠術なんてそんなチャチなものじゃない。
思考や記憶に飽き足らず、こいつは俺たちの身体までこの短時間で作り変えた。魔法かなにかの類と思った方がよさそうだ。
「お好きなように解釈してもらって構いませんが、もうあなたの身体も、この現実も、既にあなたが女性であるように改変済みなわけです。早々に観念してお友達とご一緒になられることをお勧めしますよ。おひとりは、寂しくて怖いでしょう?」
「……はっ。ひとりが怖いだって?俺からしたら、元の自分があんたに消されていくことのほうがよっぽど怖いね」
そう強がって見せるも、講師からしたらどうということもないようで、表情ひとつ変えやしない。
「……」
周りのみんなはどうなるのだろう。このまま元には戻せないのだろうか。
ともあれ、今は俺だけでもなんとかこいつの魔法に呑まれないようにして、あとで助けを呼べるよう気をしっかり保っていないといけない。
さっきまでみたいに自分を『侑梨』だと思い込んで疑わなくなったら、もう俺たちは終わりだ。
「……」
幸い、このセミナーもあと30分ほど経てば時間切れ。
チャイムが鳴れば他の学生や教員が入室してくることもあるはず。そうなればいくらだって……!
「もう、仕方ありませんね。では……少々強引な手を使わせていただきましょう」
「は?……ぇ」
咲本が手を伸ばす。するとふにゅんと、まるで柔らかな球体が押し潰されたかのような感触が俺の胸部から生じた。
俺の胸が、咲本に揉まれていたのだ。
「なっ……!?」
「これが1番効くんですよ。身体の違いをはっきりとさせてあげれば、あとは次第に精神も馴染んできます。さて、侑梨さんはどこまで耐え切れるでしょうかね?」
さらに咲本は慣れた手つきですぐさま俺のブラウスのボタンを外し、その隙間から手を忍ばせて、いつの間にか着せられていたブラジャーごと、俺の乳房を鷲掴んだ。
「可愛らしい水色のブラをしてますね。侑梨さん?」
皮肉げにそう呟く咲本を前に、しかし俺は反論のひとつもできないでいた。
(あっ……くっ……)
全神経を口元に集中させていないと、嬌声がこぼれてしまいかねない。
たわわに実った脂肪を伝い脳に達する快感はそれほどまでに刺激的で、俺の意識の蹂躙に事欠かない。
あるはずのない部位の感覚。経験したことのない甘い刺激。脳は望まない昂りを覚えて、身体中が熱り始めた。
「んっ……!」
咲本の暴虐は留まるところを知らなかった。指先をブラの内へと滑り込ませて、今度はこの胸を素肌のまま弄び出す。
先ほどとは、まるで違う。より強く、より甘い、脳を蕩けさせる蜜の味。直に触れられるだけで、こんなにも変わるものなのか。
咲本の細い指先がいたぶるその通りに、俺の柔らかな乳房はなされるがままその形を歪めていく。そして変容するその度に滂沱の快楽が俺の意識を溶かしていく。
「……あっ♡」
すごい。自分で胸を弄るときには、こんなに気持ちよくなんてなれないのに……。
……って、いやいや!なんだよ自分で弄るときって!それは偽りの記憶でっ……!
「んふっ」
「ひゃぅっ……!?」
瞬間、俺はたまらず背筋をのけぞらせた。
乳房の最も敏感な頂点、乳首を咲本に摘まれたらしかった。
「ほら、男の子はそんな反応しないでしょう?過敏なあなたのそのおっぱいは、やっぱり女の子のものなんだよ。貴女が将来産んで育てる赤ちゃんのための、大切なお乳を出すところなんだよ……だからあなたは女の子、園部侑梨ちゃんなんだよ」
「ち、ちがっ……くふぅっ……」
咲本の言葉に耳を貸しちゃダメだ!今は魔法でこんな身体にされてるけど、俺は男だ!園部侑樹なんだ!
──本当に?
記憶の中に巣食うもうひとりの自分が、そう問いかけてくる。
──こんな身体をしてるのに、私はほんとに男の子なの?
「な、なにをバカなっ……!!俺は、男だっ!!」
「ふふーん……それじゃ、こっちも見せてもらおうかな。可愛らしいリクスー女子が淫らな悪戯を受けてる絵、なんだか私まで興奮してきちゃうね」
さらに咲本は俺の下半身へと目を向け──
「……くっ!」
まずい。
胸だけでこんなにも自意識がぐらつき始めているのだ。その上”あそこ”までやりたい放題されてしまったら……!
──自分が女の子だって、完璧に自覚できちゃうね?
「……お、おい五十嵐っ!!いい加減に目を覚ませっ!俺もお前も男なんだ!!こんなやつの魔法にいいようにされてんじゃねぇよっ!!」
なお力強く羽交い締めを続ける五十嵐にそう訴えかけてみるも、彼女は苦笑を浮かべるのみでまったく離そうとしない。
「侑梨ちゃん……侑梨ちゃんを見て「この人は男だ」なんて思える人、たぶん日本中のどこにもいないと思うよ?私、知ってる。侑梨ちゃんはね、口では悪態ついてても、ちゃんと可愛らしい女の子なんだって」
「っ!!……ま、紛い物のお前にっ!本当の俺の何が分かるってんだよ!?」
「わかるよ。だって、先輩に好きになってもらおうって一生懸命にお洒落して、アピールして、頑張ってた、しっかり恋する乙女してた侑梨ちゃんをずっと側で見てきたもん」
「ふざけ…ひゃんっ……!」
「侑梨ちゃんは女の子だよ。学生証にだって『園部侑梨』『性別 女』ってあるでしょ?」
「だから!それはこいつが捏造したもので」
「先輩に買ってもらったっていつも嬉しそうに掛けてるそのネックレスは?」
「ぁ……こ、これは、その……だからっ……」
「一緒に就活頑張ろうねって仕立ててもらったその女物のリクルートスーツは?」
「ま、まって……」
「今こうして私の前にいる可愛らしい女子就活生は、園部侑梨じゃないの?顔は小さくて目はぱっちりとしてて、髪は手入れが行き届いてて男の子にしては長すぎるし、身体も華奢でそのくせ胸は大きくて、スカートから覗かせる脚は凹凸も弱くてすっと綺麗で……女の子だよ、あなたは絶対に♪」
「……」
普段はのほほんとしているようで、真剣な時は思ったことをはっきりと口にする。こういうところは、やっぱり五十嵐なんだなと感じさせる。
ーーそうだよ。彼女は五十嵐さん。そしてあなたは園部侑梨。ふたりとも、生まれた時から女の子だったでしょ?ずっと女の子として生きてきたでしょ?
「……うっ」
気分が悪い。自分が自分じゃなくなっていくような嫌悪感はあるのに、それを受け入れてしまおうとする自分がどこかにいる。
いっそ全てを投げ捨てて楽になってしまいたい。そんなおざなりな思考が俺の脳内に覆い被さる。
俺は──”私”は。
「…………ぃ、や!だ、駄目駄目!わた…俺は男だ!!咲本先生、あなたの望み通りにはなりませんっ!!」
「あらすごい、お友達の言葉でも完全に堕ちないだなんて」
正念場だ!絶対に……絶対に絶対に絶対にっ!私は彼女に屈してなんかやらない!!!
(時間は……あと10分!踏ん張れ、私!!)
自らに喝を入れ、私は彼女を睨みつけた。
「ど、どうせこの後、私の”あそこ”を下品に弄り倒そうとかするんでしょ!?」
「ご名答。これで堕ちなかった子は、さすがに今までひとりもいないの」
「じゃあ、私がその第1号になるわけですねっ!」
「言いますね……それでは、ご開帳」
「へ?……ひゃぁっ!?」
先生が手のひらを外側にして、何かこじ開けるようなポーズを取る。
すると途端に私の両脚が意図せず大股に開かれて……えっ、なにこれ!?なんなのっ!?
「どういうことっ!?」
「あなたの身体、もう相当私の催眠に馴染んじゃってるんでしょう?精神はともかく、身体はもう私の言いなりってわけ。さ、五十嵐さんだっけ?拘束、もう解いていいよ。ご苦労さまでした」
先生がそう言うと、私は肩の圧迫感から解放された。
(この身体が彼女の言いなり……?いや)
考えるのは後回しだ。五十嵐さんが邪魔をしてこないというのなら好都合。とにかく急いでこの教室から抜け出して──
「『止まりなさい』」
「……は?」
間髪入れずに駆け出したはずの私の身体は、けれどその場で、直立不動のままでいた。
「ふふっ、お利口さんです」
先生は微笑みながら、その手で嫋やかに私の頬を撫でつける。
まるで蛇に睨まれた…いや、舐められたカエルのように、私は青ざめるほかなかった。
「ですが、話の流れは理解できていらっしゃらないご様子。侑梨さん、あなたのその身体では、もう私の命令に逆らうことなんてできないのですよ♪」
そして、ゆったりとした所作で彼女の魔の手は私のスカートを潜り行き、
「では、ショーツの隙間から失礼して」
「んっ……こ、こんな、くらいじゃ……」
「くすっ、気持ちいいのでしょう?分かりますよ、私もあなたと同じ女性ですから」
悶え、なんとか身を捩ろうとする私に、先生の手管が容赦なく襲いかかる。
すっかり女性器へと変貌を遂げた秘部が、愛液に濡れる。甘美な刺激に、心が一層溶かされていく。
──けど、”彼”にしてもらった時のほうが、ずっとずっと、気持ちがよかったよね。
……。
そ、そうだ。初めて本気で恋をしたあの人と繋がった時は、こんなものじゃなかった。この程度のことで、今さら私の心が屈するものか。指先の1本や2本で果てるほど、私は身体はもう安くない!!
「──だったら今、もう一度それを味わわせてあげましょう。侑梨さん、あなたに耐え切れるかな?」
先生がそう言って、不敵な笑みを浮かべた次の瞬間──
──私は気付けば、自分の部屋に棒立ちしていた。
「……へ?なに、これ?」
困惑しながら辺りを見回すも、別段なんの変哲もないいつもの自室だ。
「……あれ?」
そんななか、部屋に置かれたあるひとつの家具に目が止まった。
「この制服…私が女子高生だった頃の…」
そして姿見に映る私はどこかあどけなく、そして高校時代の制服を着用していた。
「……侑梨」
「?……ぁ」
当時の恋人が、そこにいた。
途端に、胸が高鳴り始めた。
「侑梨」
「あ……ちょ、やだ……」
頬を赤らめた彼が、その男らしい腕で私をベッドへと押し倒す。
「好きだよ、侑梨」
「……もうっ……ん、私も……」
そうして私を求めてくれる彼に応えようと、私もおもむろに衣服を脱ぎ捨てて──
──って、違う!彼とはもう別れて、それに今の私は先輩の彼女なんだから、こんなことしちゃダメなんだからっ!
「けどさ、君にとって1番気持ちがよかったのは、俺とのセックスだろう?」
「ぅ……」
「侑梨と先輩とは、身体の相性が悪いんだよ。さあ、”俺と”気持ちよくなろうよ、侑梨」
「で、でも……い、いやっ!まって!私の体……お願い!止まってぇっ……」
けれど私の意思に反して、体は自ら媚びるように両腕を広げていき、そして彼との抱擁に至った。
(あ……♡)
彼の逞しい身体に抱きしめられると、私の小さくてひ弱な女体はこの上ない安心感に包まれる。
「んむっ……」
目を閉じて、唇を捧げる。これまでに何度も味わってきたキスの味が、今日は一段と私の心を懐柔していく。
ふと、おへその辺りに何かがぶつかるのを感じた。見るとそれは、彼のすっかり屹立しきったおちんちんだった。
「しょうがないなぁ……」
私はしゃがみこみ、それを口に咥えた。するとそれはより太く、より硬く変わり私の口内を圧迫していく。
「んっ、んっ……」
舌を絡めたり、顔を前後に動かしたりしながら、私は彼が気持ちよくなれるようにと精一杯ご奉仕していく。
「くっ!侑梨、出すぞっ……!!」
「むぅ……っ〜〜!!」
顔を強引に掴まれ、ありったけの精子が口内へとぶちまけられた。
「んく……けぷっ♡」
苦い……けど、嫌いじゃない♡
「侑梨のあそこも、もう準備オッケーみたいだね」
気づけば私の膣内は滴り落ちるほどの愛液に塗れ、愛しの男根を今か今かと待ち詫びている様子。
──ほしいでしょ?ほしいよね?。私、この人のおちんちんが大好きだもんね?
「……」
……。
……。
……。
私は彼と体を重ねた。
「おねがい……きて♡」
私はほしい。私を1番気持ちよくしてくれる、幸せにしてくれる、この人のおちんちんがほしい!
差し込まれた一物が私の中で脈動を始める。
(そうそう、これ♡先輩のより断然おっきくって、乱暴で……でも♡いっちばん、きもちいいの、これ♡)
押し込み、引いて、ただそれだけで私の脳内は女としての快楽に染め上げられ、セックス以外に何も考えられなくなってしまう。
ただ本能に従う。自分は女だ。女だから、ひたすらに媚びて、男の人に抱かれ、子宮を疼かせて、命の種を受け取って、大切にお腹に仕舞う。子宮の本懐を果たす。
気持ちよくしてもらう。女としての本能に、ただただ従順になる。
だってそれだけで、私はこんなにも気持ちよくなれるんだから♡
「んぅっ……はぁ……♡」
わたしは、女の子だ。
だって彼に挿れてもらって、こんなにも気持ちよくなれてるんだもん。
「ぁ、ふっ……ひぁんっ♡」
このおちんちんを味わえるのは、おちんちんのない女の子だけだもん!ならわたし、女の子じゃん!男の子なわけ、ないじゃない!
激しさを増すピストン運動に、私の昂ぶりはいよいよ最高潮だ。
(……ぁぁ♡)
きもちよすぎる♡
しあわせ♡
しあわせ♡
わたし、おんなのこでよかった♡
おとこのこだったら、こんなしあわせ、あじわえなかったよぉ♡
「お前は女だ、侑梨っ!!」
「────────はぃ……♡」
これが最高の快楽と幸福に包まれて終われる、私の1番大好きなセックスだった。
×××
チャイムの鳴り響く音に、私は意識を取り戻す。どこか夢見心地な感覚の拭えないまま、私は講義を終えて後片付けをする咲本先生のいる教壇へと向かった。
「……あら、どうしました?なにか質問ですか?」
先生は至って自然体だ。あんなことがあったというのに、とんだ狸爺…いや狸婆かな?
「私の……いや、"俺"の勝ちです」
「……あらあら」
心の底から驚いたような、そんな素振りを見せる咲本先生。
実際、よくここまで耐え切れたと思う。言葉遣いは相当意識しないと『侑梨』に持ってかれるまでになってしまったけど、あれだけ精神を蹂躙され、にも関わらず『侑樹』としての自我を保てているのは、奇跡に近しいものなのだと思う。
「このことは口外させてもらいます。先生、あなたはもうおしまいです」
とにかくこの奇跡のおかげで今の俺があり、そして先生の悪事は終わりを迎える。
「けど、はたしてあなたの思惑通りに事が運ぶかな?」
「え?」
「だってそうでしょ?『自分たちは本当は男で、怪しげな女性に性転換させられた。現実の情報も書き換えられてしまったものなんだ』なんて訳の分からない超常現象、いったい誰が信じるっていうの?」
「……」
「あなた以外の参加者はみんな自分を生まれた時から女子だったと思い込んでる……あなたも観念して、女子大生として順応していったほうが生きやすいよ。幸い、才色兼備といって差し支えのない女子になれたんだからさ?幸せだよ?幸せになろうよ?侑梨ちゃん」
「……ふざけないでください」
「侑梨ちゃん?たったひとり、意地を張って世間に抗議を続けたとして、私たちを潰せると本気で思ってるの?」
……………………。
「………………待って、"私たち"?」
「あー、5限とかほんと面倒」
一際大きな女子の声が出入口から響いてきた。声の主は、どうやら次の時間にこの教室で講義を受けるため入室してきた学生らしかった。
「あれ?綾、ピアス変えた?」
「それでさー、パパってばほんと無神経でねー」
「ちょっと、タイツ伝線してないそれ?」
「駅近のお洒落なあそこ、いいよねー!私も今度行ってみよ」
彼女らのひとりひとりは、さほど気に掛かる存在でもなかった。
「……?」
ところが入室してくる学生たちに、やたらとおかしな偏りがあることに私は気づいた。
……いや。
「うそ、でしょ……?」
偏りじゃ済まない。それは決定的だった。
講義を受ける学生の全員が全員"女子"だなんてことが、はたしてあり得るだろうか。男子生徒が1人も混ざらない講義なんて、何の因果もなく、はたして起こり得るのだろうか。
嫌な予感が頭から拭えない。
通りかかった学生のひとりを引き止め、尋ねる。
「す、すみません……ここ、次は何の講義なんですか?」
「?行政学のAですけど」
「……それって、女子生徒しか受講できないとか?」
「へ?いえ、そんなことありませんけど……あー、でも見方によってはそうかもですね。だってここ……」
……。
「"女子大"なわけですし」
……。
……。
……女子大?女子大とは?
「京華ちゃん、無事に終わった?」
振り返ると、咲本と親しそうに会話をする女性の姿があった。
「あ、優衣。いやぁ、ひとりだけやたらしぶとくってね」
「そうなの?珍しいこともあるものね……ここ以外はもう全部完璧だけど、どうしましょうか?」
全部、完璧……。
私の緊張感なんて気にも留めないのんびりとした口調で、咲本先生は話し出す。
「侑梨ちゃん、今回は私、別にひとりってわけじゃないの。いつもは単独で控えめに暗躍させていただいてるわけですが、今年度はうちの社も本腰を入れてこの大学を乗っ取っちゃおうかってお話になりましてね……」
待って。やめて。それ以上は、聞きたくない。
「この大学、もう侑梨ちゃん以外の全生徒が、私たちTS株式会社の支配下。みんな、みーんな会社に忠誠を誓う女の子。それでこの大学は今日から…ううん、創立当初からずっと女子大で、当然この大学に籍を置く学生は全員女子大生……ね、規模が違うでしょ?太刀打ちなんて出来っこないでしょ?」
予想をはるかに上回る絶望が、私に襲いかかった。
「──まあ、今さらこの子ひとり放っておいたところで、問題はなさそうだけれど」
そう言って一歩にじり寄る優衣と呼ばれた女性。
「京華ちゃん。初々しい迷える後輩のためにも、私たちOGが一肌脱いであげましょう」
「だね!まだまだ温めてある講座のストック、私たくさん持ってるよ!それじゃあ侑梨ちゃんのための特別セミナー延長戦、さっそく始めちゃおう♪」
そして、男としての私は、虚しくも終わりを迎えた。
×××
面接会場の最寄り駅、その化粧室へと足を踏み入れる。
鏡面の前に立ち、襟を正し、前髪を軽く手櫛で整えて、お化粧が崩れていないか入念にチェックする。
髪型、よし。
お化粧、よし。
服装、よし。
最後ににこりと笑ってみせると、ばっちり愛嬌のある、それでいて楚々とした模範的な女子就活生が鏡に映し出された。
笑顔、よし!
「行こうっ!」
今日は第一志望の会社の、最終面接の日。
「それではTS株式会社の最終面接を始めます。担当の太田と申します。よろしくお願いします」
いろんな人に支えられてここまで来た。
すべてを出し切る。悔いは残さない。
「慶早大学4年、園部侑梨と申します。本日は、どうぞよろしくお願いいたしますっ」
私はこのTS株式会社で、必ず内定を勝ち取ってみせる!